業界に痕跡を残して消えたメーカー SCSIカードで市場を制覇したAdaptec

アスキー 2016年10月25日(火)11時00分配信

 しばらくストレージ関連製品メーカーをご紹介してきたが、ストレージつながりということで今週はAdaptecを紹介しよう。

業界に痕跡を残して消えたメーカー SCSIカードで市場を制覇したAdaptec
1枚だけ手元に残っているAHA-2940カードをかじる筆者の愛猫チャシー先生

SCSIの需要を独占的に獲得するも
生産が追いつかず、苦境に陥る

 Adaptecは1981年、Laurence Boucher氏により創業された。Boucher氏の名前は、連載369回の最後に少し出てきている。

 彼はShugart AssociatesでDirector of design servicesの職にあり、ここでSASIをベースに、より高速かつ多数のストレージを接続可能なI/FとしたSCSI(Small Computer System Interface)の仕様策定に関わっている。最初のドラフトは1979年に発表され、最終的に1981年にANSIでX3T9.3として公開されている

 ちなみにこの規格書の冒頭には、L.Boucher氏が"Shugarts Associates"に所属しているとあるが、Boucher氏はこれ以前にIBMに移籍しており、1981年の4月にはそのIBMも退職して自身の会社であるAdaptecを創業した。この時Boucher氏は37歳だったそうだ。

 初期のAdaptecは、さまざまな種類のSCSI I/Fカードなどを製造・販売している。下の画像はSeth Morabito氏が投稿した1983年のSCSI to MFMブリッジカードである。

業界に痕跡を残して消えたメーカー SCSIカードで市場を制覇したAdaptec
Morabito氏は1983年のカードだとしているが、EPROMに張られたシールを見ると1984年の製造にも見える

画像の出典は、“Seth Morabito氏のTwitter

 AMDの8085互換チップに、三菱(現ルネサスエレクトロニクス<6723>)のM5L8156P(8085用のPIOチップ)、あとはAdaptecのカスタムチップが3つほど目立つ感じだ。

 この当時は、まだホストアダプターというよりは既存のESDI/SASI対応HDDをSCSIに変換するカードとしてのニーズが多かったようで、ホストアダプターはさらに多数のチップを利用して構成されていた模様だ。

 さてこのSCSIという当時としてはニッチな市場を独占的に獲得したことで、1983年の売上は600万ドルを超え、スタートアップ企業としてはまずまずの滑り出しを見せたAdaptecである。

 同社はPCというよりは、ちょうど市場が立ち上がっていたUnixワークステーションの分野で評価され、注文が殺到するようになる。

 悪いことに、この急激な需要の伸びは同社でハンドリングしきれなかった。1983年、需要に対応するための部材の購入や生産設備への投資、人件費などが同社の資金を急激に圧迫した。

 また、主要なUnixワークステーションベンダーがAdaptecの生産能力を超える発注を行ない、ところが生産が間に合わないという返事をもらった結果、これらベンダーが発注をキャンセルすることで、いきなり売上高が半分を切るという、危険な状況に陥った。

 もっともこれは、Adaptecが本来行なうべきであった生産予測や顧客の最高限度額(信用供与枠)の設定など、基本的なことを行なっていなかったのが主要因ではある。ベンチャーだけにそうした事柄まで手が回らなかった、というべきか。

 幸いにも一部のクライアントやベンチャーキャピタルなどから資金調達を行なうことで、この苦境を脱することはできたが、1983年末における手元資金は13万1000ドルまで減っていたそうだ。

 そこから同社は不要な在庫の売却や、何人かの経験ある人材の雇用(Sales&Mktgの副社長やCFOなど)を行なうことで、会社の経営を健全な方向に導くことができた。

 Adaptecは1986年にNASDAQに株式上場を果たすが、その時点で同社は300社の顧客を有し、どの顧客も同社の売上の10%を超えることはなかった。1986年の売上は6000万ドルに達し、営業利益は倍増。在庫回転率は6.8と非常に健全な状況になっている。

 ちなみにBoucher氏は株式上場のタイミングで会社を去り、後任としてIBM時代の同僚であったJohn G. Adler氏がCEOになる。

SCSIがエンドユーザーにも普及
爆発的に売上が伸びる

 Adler氏がCEOになった1986年以降が、Adaptecの黄金期と言えなくもない。まずAppleがMacintoshの全モデルにSCSIを採用したことでSCSI機器の市場がコマーシャル向けにも立ち上がり始めた。

 同様にIBM-PC互換機もSCSIの普及が次第に始まっていく。この市場に対し、Adaptecはホストコントローラーとデバイス側のコントローラーの両方のチップ、およびそのチップを搭載したカードを広く販売していくことで、大きな売上を獲得していった。

 この時期の製品として非常に有名なのが、AHA-1520シリーズやAHA-1540シリーズのSCSI HBA(Host Base Adapter)だろう。

 おそらく読者の中にもAHA-1542Bや、その後継のAHA-1542C/AHA-1542CFを使ったことのある方がまだおられよう。

 AHA-1500番台のカードはISAバスに装着されるFast SCSI(最大10Mbps)のカードである。ちなみにAHA-1510/20/30番台はPIO(Programmable I/O)による転送方式、AHA-1540番台はDMAによる転送方式をサポートする。

 連載107回でも触れたが、ISAバス自身は16bit幅で8MHz(8.33MHzという説もあるが、長くなるので割愛する)のクロックなので、理論上は16MB/秒の帯域を持つはずである。

 ところがマザーボード側のDMAコントローラーが遅いため、実効転送速度は4MB/秒そこそこでしかない。このため、より高速な転送をしたいカードは自前でDMAコントローラーを転送することになった。

 AHA-1540シリーズもこの1つで、実質6~7MB/秒の転送が可能ということで、i386~i486の頃のAT互換機ユーザーにはずいぶん愛用されていたはずだ。

 ちなみに国内に入ってきたモデルは第2世代のAHA-1540B/1542B以降がほとんどで、第1世代のAHA-1540A/1542Aはあまり流通していなかったと記憶している。

 実はこの2つ、型番は近いがカードそのものはほとんど別物である。下の画像はそれぞれのインストレーションマニュアルのジャンパセッティングの図を抜き出したものだが、AHA-1540AはフルサイズのISAカードなのに対し、AHA-1540Bはハーフサイズになっている。

業界に痕跡を残して消えたメーカー SCSIカードで市場を制覇したAdaptec
業界に痕跡を残して消えたメーカー SCSIカードで市場を制覇したAdaptec
フルサイズのAHA-1540A(左)と、ハーフサイズのAHA-1540B(右)

 AHA-1540Aの時にはまだDMAバスマスターの機能を1つのチップにまとめられず、カードの上に山のようにチップを載せてバスマスター機能を実装していたのが、AHA-1542BではこのDMAバスマスター機能をワンチップに収めることに成功、カードサイズも大幅に縮小することが可能になっている。

 ただこの時代、ISAバスのDMA番号やポートI/Oのアドレス、あるいはメモリーマッピングのアドレスなどはすべてボード上のジャンパピンで設定する必要があり、これを間違えると、例えば他の拡張カードと同じアドレスや番号を指定してしまうと、デバイスドライバーを入れた瞬間に固まるなどいろいろ不都合があった。

 この不都合をなんとかすべく、インテルとマイクロソフトが共同で制定した規格がPNPISA(Plug & Play ISA)で、こうした設定を自働で行なうというものだったが、これがまたうまく動かなかった。

 むしろPNPISAでないほうがまだ解決が楽だったという事態に陥り、「差して動かす(Plug & Play)」ではなく「差して祈る(Plug & Pray)」だなんて揶揄されたりした。

 このあたりはEISAでもある程度解決に向けて色々実装したものの十分ではなく、最終的にPCIの登場で解決した(もっとも初期のPCIではまだ色々問題があったりしており、こなれてきたのはPentium IIが登場した頃だっただろうか?)。

 余談ついでにもう少し説明すると、AHA-1522あるいはAHA-1522AはPIO方式での転送だったので、CPUがi486DXの頃はAHA-1542Bに性能が劣っていたが、CPUがi486DX2あたりになってからは、むしろベンチマークするとAHA-1542Bを上回る性能をたたき出したりした。

 これは、CPUの高速化によりAHA-1542BのDMAバスマスターを上回る頻度でI/Oリクエストを出せるようになったからで、その意味では単純にSCSIコントローラーの性能ではなくシステムの構成で性能が変わるという、ある意味古き良き時代の製品であった。

後継機で処理能力を高速化
Ultra Wide SCSIなどにも対応

 この後、EISA向けのAHA-1740/42、MCA向けのAHA-1640などが登場する。AHA-1542の世代では内部に独自のCISC MCUが搭載されていたが、AHA-1640/1740/1742などではRISCベースのPhaseEngineと呼ばれるコアがプロトコルの処理をするようになる。

 続いてPCI向けのAHA-2740/42やVLバス向けのAHA-2840/2842などがラインナップされるが、こちらにはPhaseEngineをデュアルで搭載して処理性能の高速化を図った。

 処理性能の高速化は、1つはホストバスI/Fの高速化が理由であるが、SCSIバス側の高速化も理由として挙げられる。 初代のSCSI-1は5MB/秒、Fast SCSIで10MB/秒だったが、この頃になるとWide SCSI(16bit/10MHz)やUltra SCSI(8bit/20MHz)、Ultra Wide SCSI(16bit/20MHz)などの新規格が登場し、より転送速度が向上していったことへの対応と考えれば良い。

 SCSIはこの後Ulta 2 SCSIやUltra 2 Wide SCSI、さらにUltra 160/320と進化していき、Adaptecもこれに対応したコントローラーやカードをリリースしていく。

業界に痕跡を残して消えたメーカー SCSIカードで市場を制覇したAdaptec
Ultra SCSIカードの「Adaptec SCSI Card 2915LP」

ストレージ以外でSCSIの用途を模索
企業買収を進め、勢いに乗る

 1995年、Adler氏はCEOの座を退き、後任にはCOOを務めていたGrant Saviers氏が就いた。彼は1992年にWDからやってきた。

 1986年の段階では売上は1億ドルに届かず、利益もわずかだったが、1995年には売上は4億ドルを超え、利益も1億ドル近くに達していた。特に1992年からは売上が毎年1億ドルずつ増えているような感じで、これにともなって利益も比例して増えていたため、Adaptecにとって未来は明るかった。

 とはいえ、1990年の段階で同社の売上げの7割はSCSI関連製品、それもSCSIのストレージ関連に集中しており、このままではSCSIになにかあった場合に急激に会社が立ち行かなくなる恐れがあった。

 これに向けて、Adler氏の時代からさまざまな方向性を模索し始める。その1つがイメージング関連で、プリンターやスキャナーをSCSIで接続するというものだ。

 昔のドットインパクトプリンターならばいざしらず、高精細なレーザープリンターへの出力や、スキャナーで600/1200dpi以上での画像取り込みは、データ量が膨大なため、従来のシリアル/パラレルポートだと待ち時間が半端でない。

 こうした用途に向けてSCSI接続というのは、確かに一時期流行した。実際筆者もSCSI接続のスキャナーやプリンターを使っていたこともある。

 その後、Saviers氏の時代になってからは企業を買収してラインナップを拡充する方向に進み始める。1995年にはPower I/O、1996年にはCogent Data Technologiesを買収し、SCSIだけでなくFast Ethernetの製品を投入する方向を見せる。

 さらに1998年には同じくSCSIコントローラーを販売していたSymbios Logic Inc.を買収しようとするが、これは最終的にFTC(Federal Trade Commission:連邦取引委員会)に独占禁止法抵触の疑いありということで成立しなかった。

 ただそれでもAdaptecの1998年の売上は10億ドルを超え、営業利益も1億7000万ドルを超えていた。

 そしてその翌年の1999年、Adaptecの売上は7億ドルまで下落、1329万ドルの営業損失を出すに至る。直接的な理由は、ドットコムバブルの崩壊である。

ATAPIとUSBが台頭
SCSIの終焉とともに会社も終焉

 Adaptecの売上はさまざまなサーバーやワークステーション、PCなどの売上に比例するため、これらの機器がバブル崩壊で不調になると、Adaptecも影響は免れない。

 これとは別に、Adaptecの市場は足元から崩れ始めていた。まずはデスクトップ機。Macintoshもさることながら、一時期は多くのデスクトップPCがなかば標準でSCSIを装備しているという時代もあった。

 ただIDE/EIDEといった、より廉価で同等以上の速度が出る規格が1989年に標準化され、1995年頃にはもうデスクトップ機にSCSIというケースはかなりレアになりつつあった。

 光学ドライブもATAPIの普及で、やはりSCSIの出る幕はなくなりつつあった。そしてプリンターやスキャナーは、USBの普及でやはりSCSIのマーケットがなくなっていく。

 当初のUSB 1.1は速度の面で不十分だったが、USB 2.0になるとFast SCSIを上回る速度が出るようになっており、はるかに手軽だった。

 こうした動向はAdaptecも理解しており、1998年11月にPTS(Peripheral Technology Solutions)事業部をSTMicroelectronicsに7300万ドルで売却している。1998年の売上や利益には、この売却益も貢献していたわけだ。

 では同社はなに何で儲けようとしたかというと、サーバー向けストレージにはSCSIが必須であったため、ここに注目した。さらに単なるSCSIコントローラーではなくRAIDコントローラーなど機能の高い(その分価格も高い)製品が必要とされていたからだ。

 ところがドットコムバブルの崩壊は、このサーバー市場を直撃した。この結果、同社は売れる製品がなくなってしまった、というのが実情に近い。

 この後同社の売上げは急落していく。おなじみForm 10-K(有価証券報告書)から数字を拾ってみると、以下のようになっており、1998年をピークに加速度的に売上を落としている。

 RAIDコントローラー以外にこれといって製品がないとまで言うと失礼かもしれないが、同社はNASやSANを提供しようとしたものの失敗しており、事実上RAIDコントローラ専業メーカーみたいな扱いになっていたため、これは致し方ないところか。

 2007年には有名なヘッジファンドであるSteel Partnersが経営権を巡ってProxy Fight(株主委任状獲得合戦)を仕掛け、結局AdaptecはSteel Partnersの傘下となる。

 Steel Partnersは2010年6月にAdaptecの資産をPMC-Sierraに売却してしまい、Adaptecは実態のない会社となったため、2010年7月に上場廃止となってしまった。

 ちなみにPMC-Sierra自身も2016年1月にMicrosemi Corporationに買収されており、現在はMicrosemi Adaptecというブランドで引き続きSASあるいはRAIDコントローラー製品を販売中である。

アスキー
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    最終更新: 2016年10月25日(火)11時00分

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