今だから話せる!? 「中の人」が語るTAKERUの軌跡

アスキー 11月01日(火)11時00分配信

始まりは「1983年8月15日の午後3時」だった

PCソフトの販売でわかった限界と問題点

 ブラザー<6448>がアンテナショップとして「コムロード」(現アプライドグループ)を立ち上げたのが、1983年。PC用のソフトも扱っていたが、売れるソフトは一瞬で売れて品切れになるが、売れないものはいつまでも売れず不良在庫になってしまう、というのが課題だった。ちょうどこの時、電気通信事業の自由化を目前に控え、通信を使う「ニューメディア」が注目されており、これでソフト販売の在庫問題を解決できないかと考えたのが安友氏だ。

「当時ニューメディアだといって騒いでいましたが、速度は遅いし通信料は高い。これを使ったサービスというのは実現性が薄かったのですが、大変だろうけどやってみようか、ということで始めました」

 その結果として考え出されたのが、ソフトを通信で送って販売しようという構想だ。紙に概要をまとめ、インテック(電気通信事業者)のネットワーク責任者へと相談したのが1983年の8月15日、午後3時。これがTAKERU実現への最初の一歩となった。

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これはTAKERUのサービスが開始された当初のシステム概要だが、1983年8月15日の時点でも、これに近い形のシステム概要を見せて相談したそうだ

 とはいえ前例のないシステムだけに開発は簡単ではなく、プロトタイプの4台はFRPで作ったため静電とノイズ特性に弱くて悩んだり、制御に使用したPC-98の詳しい資料がなく、内部資料を出してくれとNEC<6701>に直談判しに行ったり、通信費をいかに抑えるかという問題に取り組んだりと、多忙な日々を過ごすこととなった。そしてついに1985年に完成し、3月に「パソコンソフト自動販売システム発表会」を開くまでこぎつけた。この発表会で展示されたのが、プロトタイプの4台だ。このときはまだ「TAKERU」や「武尊」の名前はなく、「SV-2000」という名前だった。

「『SV-2000』のSVは『ソフトベンダー』の略。そして2000は、西暦2000年までに2000台設置し、2000億円規模の事業にするという3つの願いが込められていました」

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プロトタイプを紹介している「コムロードエクスプレス」。1985年4月号での特集となっている。このコムロードエクスプレスは、発表会の会場でも展示されていた
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中はSV-2000がどういうものかをわかりやすく解説してある記事。当時らしさが感じられる懐かしい文体、ハレー彗星の話題があるなど、堅苦しくない内容だ

 この発表会の後、コムロードをはじめJ&P(上新電機<8173>)、ラオックス<8202>、ヨドバシカメラ、九十九電機など15店舗の協力を得て、12月までに東京、大阪、名古屋で試験運用を開始。そして1986年4月の本格販売開始へと続いていく。

 本格販売に際し、名称を「ソフトベンダー武尊」へと変更。当時の資料によると、「古事記、日本書紀に出てくる神話上の英雄日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)から命名。古代大和朝廷発展期において東伐西征事業を行い、古代の活力を示す英雄にあやかり、群雄割拠するニューメディア時代において「武尊」がニューメディア時代の活力として時代を先導するシステムとなることを指向しました」とある。

「最初はSV-2000でいこうと思ったんですが、ちょうどその頃、製品名に漢字を使うのが流行りだしたんですよ。漢字を使った、かわいい、面白いものにしようということで、『ソフトベンダー武尊っていいんじゃない?』と。漢字でいこう、と。そうしたら、子供が読めなくて……パソコンショップで『おいちゃん、ブソンどこにある?』とか聞いちゃって」

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本格的な販売は赤いTAKERUで開始された。デザインは大きく変更されているが、基本機能は変わらない

赤字の連続と黒字化への起死回生案

 どうにかソフトの販売は始まったものの、問題となるのがやはり通信費。最初はインテックのセンターから店舗までを専用線で結んでいたが、いろいろ手を尽くしても1000万円売り上げるのに1300万円かかるといったように、なかなか赤字を脱却できなかった。そしてついに、もう撤退しろという話まで出てきてしまった。

「社長以下20人くらい役員がいるところで吊し上げ食らって。そこで、『撤退するにもお金がいります』と」

 実はこのとき、コスト削減でやれることといえば、専用線から加入電話へと変更することくらいしか残っていなかった。ただし、この切り替えにはモデムの購入などの追加費用がかかってしまうため、手を出せないでいたのだ。

「回線の変更はだいたいの見積もりも出していて、その改造にかかる費用も頭に入ってたんです。そこで撤退費用の金額を聞かれたので、自然にポロっと『5千万円です』といってしまって。そしたら……決済が下りちゃったんですよね」

 しかし、安友氏は撤退する気など最初からない。

「で、戻るなり『(お金が出たから)さっさと改造するぞ』と。やってみたら黒字になりました」

 つまるところ撤退費用の使い込みなのだが、この後も事業が継続し、そして通信カラオケへとつながっていくことを考えれば、結果的に大英断だったといえるだろう。

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専用線で接続していたインテックと販売店の間を、加入電話へと変更。高止まりしていた通信コストを削減できた

タッチパネルを装備し、性能も通信速度もアップした新モデルの投入

 サービス開始から5年ほどが経ち、ISDNが登場するなど通信環境が大きく変わってきていることもあって、新モデルの開発が始まった。CPUは16ビットのV30から32ビットのi386SXへと変更され、HDDも最初期の20MBから大幅に大容量化。また、レーザープリンターの採用やタッチパネルの搭載など、外見とは裏腹にかなりのスペックアップが実現された。

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ブラザーコミュニケーションスペースに展示されているTAKERU。パッと見、色以外の変更は小さいように見えるが、よく見ると画面右のボタンが削除されたほか、ドライブやプリンター位置などが変更されている。また、このモデルから「武尊」の漢字表記がなくなった

 この新モデルで、従来127台体制だったTAKERUを一気に300台近くにまで増強。以前はかなり大きなターミナル駅などに行かなければなかったTAKERUが、意外と近くの店舗に設置されて驚いたという人も多いだろう。

「当初の計画では1台200万円で作る予定だったのですが、途中で通信カラオケをやろうってことになって、300万円にして中にイロイロ追加しました」

 このときすでにソフト販売だけでなく、TAKERUで培ったノウハウを生かして通信カラオケをやろうと考えていたわけだ。また、後年には搭載のCD-ROMドライブを使い、回線で送るには大きなソフトの更新などに活用されていた。

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新モデルで追加されていたCD-ROMドライブ。通信回線からだけでなく、ここからでもソフトの更新ができたという

 同時に通信コストダウンの取り組みは続けられていて、ソフトのデータベースとして使われているコンピューターとTAKERU間の通信を最適化。Layer7で使って欲しいというメーカーを説き伏せ、限りなくLayer2に近いところで利用することで、70パーセントくらいだった実効値を90パーセントくらいにまで上げることができたという。

「なんだかんだで3カ月くらいやりとりしていたでしょうか。結局Layer2をそのまま公開はできないので、オリジナルのプロトコルを作って出してくれるということになりました。「そこまでやる?」っていうことを言われながらやっていましたね」

 また、可能な限り通信はせず、できるだけオフラインで動作するように工夫したのも通信費の削減のためだ。この「オフラインで動作」というのは後の通信カラオケ、JOYSOUNDにも継承されている。他社の通信カラオケは、リクエストがあるとサーバーへ曲を取りにいく集中管理型だったため、同じ曲が同時に全国からリクエストされるクリスマスなどに処理しきれないという問題があった。これに対しJOYSOUNDは曲データが端末に保存されているため、こういった心配は無用だったのだ。

ソフトのダウンロード販売は実は他にもあった!?

 通信回線を使ってソフトをダウンロードし、メディアに書き込んで販売するというものを考えたのは、なにもブラザー<6448>だけではない。

「TAKERUと同じような構想でソフトを販売しようとしたのは、6社あったんです。6社で競争していた時期がありました」

 研究や構想段階まで入れれば、ソフトバンク<9984>やパナソフト、ハドソンなど、ブラザー<6448>も含め6社ほどが取り組んでいたというのだ。とはいえ、サービスとして立ち上げ、ソフトの販売までできたのはブラザー<6448>の「TAKERU」とソフトバンク<9984>の「エレキッド」だけ。しかしそのエレキッドも、大々的に展開することなく撤退してしまった。

「最後までしつこくやってたのはウチだけです」

意外な作品がヒット作に
定番の年賀状用素材を売ったのはTAKERUが最初

 ゲームを数多く売っていたという印象が強いTAKERUだが、在庫を持たなくていいというメリットから、一般的なパッケージソフトでは出せないようなものでもラインナップできたのが強みだ。

「あるとき、年賀状の『謹賀新年』を売らないかっていわれたんです。その人の母親が毛筆の先生で、いろんな謹賀新年という文字が書けるから、それをスキャンしてFDに入れて売ろうって」

 これは面白いなと思い、実際TAKERUで販売してみるとびっくりするほど売れたという。今でも雑誌や本で年賀状素材集が発売され、人気ジャンルになってるが、その最初はTAKERUだったのだ。

 これ以外にも、文章作成支援/文例集となる「直子の代筆」、音楽のMIDIデータ、同人ソフト、CG画集など、ジャンルを問わず手広い商品を取り扱えたのは、TAKERUならではといえるだろう。

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「謹賀新年」の文字だけで始まった年賀状素材だが、その後は定番に。イラストなども加わり、年賀状素材集という1ジャンルとして定着した。

同人ソフトの販売や「名作文庫シリーズ」に手を広げる

メジャータイトルはなかなか出してもらえないという苦悩

 「そこまでやる?」といわれるほどの通信最適化やコストダウンを続けてきたTAKERUだが、肝心の商品となるソフトに売るものが少ないというのが悩みだった。

「メーカーは、最初こそニューメディアとして歓迎していたようですが、では、ソフトをすぐにTAKERUで売ろうという話にはなりませんでした」

 これにはいくつか原因があり、まずは多少安くTAKERUで売ったとしても、売れる数はパッケージと比べて大したことがないと思われていたこと。また、汎用のFDに書き込まれたTAKERUのものより、キレイな箱やシールといった購入特典グッズなどが付属するパッケージソフトのほうをユーザーが選びがちだという現実があった。とくにゲームでは、ソフトだけでなくパッケージそのものの商品価値が高かったのだ。

「なので我々は早々に有名メーカーの最新タイトルはあきらめて、攻めるべきはニッチだろうと舵を切りました。例えばソーサリアンであればタイトルそのものではなく、ちょこちょこしたシナリオ集とか、雑誌と連動したシナリオコンテストの作品などであれば、それを扱わせてもらえないかと」

 今でいうなら、ソフトそのものではなくそのコンテンツを売る、ダウンロードコンテンツの販売に近いアイディアだ。メーカーがこういったものを売るとなれば、ソフト本体と比べ単価は相当安くなるし、扱う商品点数も増加してしまうため、パッケージで売るメリットがかなり薄まってしまう。それならこの部分はTAKERUに任せよう……という感じで、売れる商品を少しずつ増やしていったのだ。

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有名タイトルそのものではなく、拡張用の追加シナリオといったニッチな商品を販売。雑誌との連動企画なども積極的に展開した

過去のヒット作を廉価で提供する「名作文庫シリーズ」

 有名メーカーの有名タイトルは、毎年のように続編が出ることが多かったが、すべての人が必ずしも前作をプレイしているとは限らない。そのため最新作品だけでなく、それ以前の作品をプレイしたいという人も少なからずいた。とはいえメーカーとしては、いつ売れるかわからない古い作品をパッケージで作り続け、在庫しておくわけにもいかないし、もちろんショップだって商品棚に限りがあり、いつまでも置いておけない。

「新しい作品が出たら古いのは引き上げてしまうのが基本ですが、その旧作をいただけませんかと、メーカーにお願いしました。新品で買えば9800円するものを、旧作ということでTAKERUで3800円で売れば、安くなってるなら買って遊んでみようかな、という需要があるだろうと考えたのです」

 この目論見は見事にあたり、以後「名作文庫シリーズ」として定着する。書籍が最初ハードカバーで販売され、数年後に廉価の文庫として再販されるというのをイメージした名称だ。在庫をもたないTAKERUだからできるシナリオ集などの「ニッチ」な部分と、旧作を長期間売り続けられる「ロングテール」がTAKERUの強みとなっていった。

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新品では9800円だった作品も、旧作になると2000円と手ごろな価格に。新作が気に入って、前作をプレーしてみたくなった場合でも、この価格なら気軽に購入できる
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旧作を低価格で販売するというのが、名作文庫シリーズ。在庫をもたないTAKERUならではの売り方だ

オリジナルタイトルの開発にも着手

 有名メーカーだと主力ソフトは自社でパッケージ販売してしまうので、なかなかTAKERUに入れてもらえない。そのため、開発資金を出してTAKERU向けに新作を作ってもらったのがオリジナルタイトルの最初だ。しかし金額は吹っ掛けられるし、やはり他社向けということもあって大ヒットするような作品はなかなか作ってもらえず、うまくいかないことが多かった。

「このパターンはダメだということで、後半はお金や実績の少ない出来たてのメーカーさんと組むことが増えました。サイレンスの『宝魔ハンターライム』もこのパターンで、これは非常にウケました」

 『宝魔ハンターライム』はその後、家庭用ゲーム機へと移植されたほか、OVA化もされるなど非常に人気の高いシリーズとなった。

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サイレンスの出世作ともいえる『宝魔ハンターライム』。中嶋敦子によるキャラクターデザインなどで人気を集めた。全12話

「これ以外に、風景写真集のようなCD-ROMのパッケージソフトも作りました。販売店との取引口座があったので、パッケージソフトも売りやすかったんですよね。とはいえ、これはもうTAKERUじゃないじゃないよね、などといわれましたけど」

 当時はちょうどWindows95が流行ったときで、解像度も色数も増えていき、PCでの写真鑑賞ができるようになってきた時代。しかし、スマホどころかデジカメすら一般的ではなかったため、画像や写真は需要が高かったのだ。

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CD-ROM収録の写真集は比較的簡単に作れたため、かなり多くの種類が作られた

旧機種へとソフトを提供する移植ビジネスも開始

 主力機種がPC-9801へと移行していくと、大手メーカーとはいえ、MSXなどの旧機種で作品をリリースする余力がなくなってしまう。もちろん主力機種に比べれば売れるだろう本数は小さいとはいえ、せっかく売れるタイトルなのに、そのままにしておくのはもったいない。

「そこで始めたのが移植ビジネスです。「開発メーカーを用意するので、ウチで移植させてください」と頼みに行きました。基本的にはソースを開示してもらうだけで、開発費も何もかからずメーカーとしては旧機種版が出せるわけです」

 実際ソーサリアンのMSX版はこうして登場し、かなりのヒット作となった。またこれとは逆に、メーカーが古いタイトルを自力でPC-98x1へと移植した場合、以前のPC-8801版やMSX版がロングテールとなってくるため、それをTAKERUへと入れてもらうことができた。

「旧作をTAKERUに入れておけば、メーカーもサポートで「昔のものはないんですかと」聞かれたときに、「それはTAKERUにありますよ」といえるわけです。そういう業界の便利屋のような使われ方をして、いい関係が築けました」

 最初の構想であった、「最新ソフトはすぐに売り切れてしまうけど、TAKERUを使えば売り切れがない」というものからは違う形となってしまってはいたが、最新は無理でもその後のロングテールは取れるという点で、着実に足元を固めていった。

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当時のユーザーが購入していた、ソーサリアンのMSX版。新作ソフトが出なくなってきたMSXユーザーにとって、TAKERUはなくてはならない存在だった

同人ソフトとの出会いと募集

 TAKERUで同人ソフトを扱うようになったのは、秋葉原を巡っていて、たまたま目にしたのがきっかけ。こういうのもあるんだと新鮮に感じ、その場で数タイトル購入した。当時はメールアドレスなどは一般的でなかったため、購入した同人ソフトの中に書かれていた連絡先へとTAKERUで売ってみないかと声をかけたのが最初だ。

「同人ソフトを始めたのが1993年ごろでしょうか。これがことのほかよく売れました。これは少し拡大してみようってことになり、当時の同人ソフトの販路を聞いてみたところ、秋葉原のショップかコミケなどの同人即売会がメインでした。そこで、コミケでTAKERUで売りませんかっていうチラシを配ったこともあります」

 その後はTAKERU PRESSに募集情報を載せるなどして同人ソフトを集め、多い時には週に100本ほど同人ソフトが集まっていたという。

「送られてきた同人ソフトは、金曜日にまとめて審査していました。箱を2つ用意して、こっちは合格、こっちは不合格といったように分けていましたね。一発芸みたいなものやクリアできないゲーム、公序良俗に反するものは不合格にしていました。合格していたのは3本に1本くらいです。TAKERUで売っている同人ソフトにハズレはない、という風にしたかったので、厳しめに見ていました」

 合格した同人ソフトの作者には振込口座の書類や、タイトル、メーカー名、説明文などを記入するような登録キットを送って、その後、TAKERUでの販売という流れになっていた。作者へ支払うロイヤリティは、だいたい40~50パーセント程度。中にはロイヤリティはいらないので安く売って欲しいという人もいて、その場合はメディア代金としてFD1枚200円くらいで販売するようにしていたという。

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これは同人ソフトではなくCGの募集だが、TAKERU PRESS上で同人ソフトも募集していた。宛先に電話番号や担当者名まで書かれているというのが、当時を感じさせる

同人から始めて有名になったメーカーも

 メジャーな同人ソフトとなれば、月に数万どころか数十万も売り上げることもあったという。また同人ソフトから出発し、その後ソフトメーカーの設立までしたのが、『メビウスリンク』や『鉄道模型シミュレーター』で有名なアイマジックだ。

「TAKERUで同人ソフトを販売するときの名前は「インダストリアルマジック」になる予定だったのですが、これ、TAKERUの文字数制限で入らなかったんです。そこで「アイマジック」と変更してもらいました」

 実は、家のPCでTAKERU登録ソフトをカタログのように見られる『おうちでTAKERU』というソフトも、このアイマジック製だ。店頭でソフトを検索し、説明文を熟読するとソフトを選ぶだけでも時間がかかってしまい、次の人が待ちくたびれてしまうというのが悩みだったが、先に家で購入ソフトを決めていけば、すぐに購入できるというのが狙いだった。この『おうちでTAKERU』はTAKERUで販売したほか、雑誌の付録などへも収録されていた。

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有名メーカー顔負けの完成度で人気を博した、アイマジックの『メビウスリンク』

惜しまれながらも1997年の2月に終了

 1986年の3月から始まったTAKERUも、10年目の1997年の2月についに終了となった。パソコン通信もまだ珍しかったころから始まったソフトのダウンロード販売だったが、1997年といえばプロバイダーが多数登場し、ダイアルアップでのインターネットサービスが普及し始めた頃だ。ソフトのダウンロードやオンライン販売が一般的になるに従い、TAKERUはその使命を終えていった。

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    最終更新: 11月01日(火)11時00分

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