『TAKERU』約20年ぶりのアキバ登場に大興奮!? レトロPCと一緒に展示された2日間

アスキー 2016年12月06日(火)18時00分配信
TAKERU
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当日、会場に掲示された案内看板

 11月26日、27日の2日間にわたり、UDX秋葉原で開催された『いま蘇る、TAKERU伝説 ~レトロPCゲームと語る30周年~』。TAKERUの実機展示を筆頭に、レトロゲームの展示、当時のPCゲーム事情をよく知る登壇者たちによるトークステージがあるなど、非常に濃厚なイベントとなった。秋葉原へTAKERUが設置されるのが約20年ぶりとなることもあってか、当時利用していた人を中心に多くの来場者でにぎわい、一時は入場制限がかけられるほどに。実際どんなイベントだったのかを、駆け足で振り返ってみよう。

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開場してしばらくは余裕があったものの、夕方近くになると来場者が増加。一時的に入場制限がかけられる時間帯もあった。

TAKERUは内部まで見られる大サービス展示!

 このイベントの目玉といえるのが、TAKERU本体。会場のド真ん中に展示されていることもあり、誰もがまず最初に近づいていき、懐かしむ姿が印象的だった。このTAKERUは、名古屋にあるブラザー<6448>の展示施設「ブラザーコミュニケーションスペース」で展示されているもの。この日のためにわざわざ秋葉原まで運ばれてきた、現存する最後の1台だ。なお、残念ながら動作はしないため、Windows用の『おうちでTAKERU』を画面に表示し、当時の雰囲気を再現していた。

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約20年ぶりに秋葉原へ登場したTAKERU。みんな写真を撮りまくっていた。画面はWindows用の『おうちでTAKERU』を表示したもの。

 おもしろいのが単純に展示しているだけでなく、ときより内部を公開していたことだ。当時利用していたユーザーでも内部を見たことある人は少ないためか、カバーが開けられると多くの人が集まり、何枚も写真を撮っている姿が見られた。ICやコンデンサーなどがゴテゴテついた基板は今では珍しいし、プリンターがほぼそのままの形で内蔵されているというのを初めて知った、という人は多かったのではないだろうか。

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これが最初で最後かもしれない、TAKERU内部の公開。カバーが開けられると多くの人が集まってきた。
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開発者である安友氏も会場におり、ときおりTAKERUの横に立っては説明などをしている姿を見かけた。

懐かしの“あのゲーム”が実機で登場
しかも自由に遊べる!

 会場にはTAKERUだけでなく、レトロゲームもプレー可能な状態で展示されていた。しかもこれはエミュレーターによる再現ではなく、当時のPCを使った本来の状態での展示。ゲーム音楽はもちろん、ドライブのアクセス音や待ち時間まで、すべてが当時のまま体験できるわけだ。PC本体はPC-9801シリーズをはじめ、PC-8801、X68000、MSX2+、FM77、FM TOWNSなどそうそうたるメンツ。ゲームも『ソーサリアン』や『テグザー』、『ぷよぷよ』、『太陽の神殿』、『ダイナソア』など、当時ゲームで遊んでいた人なら誰もが一度はプレーしたことがある、もしくは聞いたことがあるタイトルが並んでいた。

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多くの機種に移植され、誰もが遊んだことがあるといっても過言ではない『ソーサリアン』。職業選びで悩んだ人も多いのでは。
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TAKERUで売られていたソフトとして展示されていた、アクションゲームの『タケル伝説』。後で気づいたが、よく見るとROM版だ。
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シリアスなRPGとして異色の作品となった『ダイナソア』。ゲームもさることながら、小型の一体型TOWNSが懐かしい。
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当時のゲームとは思えないグラフィックレベルの高さで、インパクトのあった『ザース』。このシーンはとくに有名だ。

懐かしい当時のパッケージもそのまま展示

 実際にプレーはできないものの、さらに多くのレトロPCゲームがケースに並べて展示されており、当時を思い出すかのように足を止めてじっくりと見ている人が多かった。たまに、「これ持ってた!」という声も聞こえてきた。

 PCゲームをあまりやらなかった人でも、ファミコンなどの家庭用ゲーム機に移植されていたタイトルが多かったため、懐かしく感じられたのではないだろうか。同じゲームソフトが並んでいるのもあるが、これは機種ごとにリリースされたため。同じものが何種類も作られるというのは今では考えられない状況だが、当時はこれが当たり前だった。

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デービーソフトの代表作、『フラッピー』『うっでいぽこ』。ファミコンにも移植されているので、遊んだことがある人は多いのでは。
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『大戦略』や『信長の野望』といったシミュレーションや、スクウェア(現スクウェア・エニックス)のアドベンチャー<6030>など、懐かしいタイトルが並ぶ。
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日本テレネットのアクションゲーム『夢幻戦士ヴァリス』シリーズ。多くの機種に移植されているが、機種によって内容が大きく変更されたりしている。
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多キャラシミュレーションRPGの先祖ともいえる、『ボコスカウォーズ』。「すすめ すすめ ものども♪」などと思わず口ずさんでしまう(これはファミコン版だっけ?)。

入り口付近ではD4EとBEEPによる物販も

 レトロゲーム復刻事業を手がけるD4Eと、当時のレトロPCやレトロゲームを取り扱っているBEEPによる物販コーナーも展開されていた。D4EはサントラCDを主に販売し、中にはレアな『Yuzo Koshiro EarlyCollection 2nd+』も並んでいた。BEEPはオリジナルのゲーム雑誌『EXTRA mag.』やTAKERU Tシャツ、オーバーホール済みの『HB-F1XD』(MSX2)などを販売。ゲーム展示と同様、多くの人でにぎわっていた。

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D4Eでは多くのサントラCDが並び、「蔵出し!」表示がある『Yuzo Koshiro EarlyCollection 2nd+』も。限定CDの復刻版だが、今では入手が難しくなっている。
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古代祐三氏の音楽が好きだという編集者(カクッチとかいう人)が思わず購入。CDを手にご満悦の様子。
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BEEPではゲーム雑誌『EXTRA mag.』の#1、#2を販売。「特別販売」と書かれたMSX2『HB-F1XD』も並べられていた。
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当日スタッフが来ていた黄色いTシャツの色違いバージョンとなる、TAKERU Tシャツも販売。

当時のユーザーが多いだけに年齢層は高め……でもみんな楽しそう!

 すでにTAKERUが消えてから20年近く。当時使っていたという人も30代後半から40代が中心となるだけに、来場者の平均年齢は高めだ。しかし当時を思い出すのか、自然と笑顔になって楽しそうな姿が多いように感じられた。また数は少ないものの、中にはTAKERUを知らなくともレトロゲームが好きな若い人、家族連れの姿も見かけた。

 朝早くから来場していた女性に話を聞いてみると、なんと、今回TAKERUのイベントのためにわざわざ関西から来たとのこと。ちょうどTAKERUが終わるくらいのタイミングでPC-98とゲーム一式を譲り受け、それからPCゲームを楽しんでいるという。TAKERUの存在は知っていても実物を見たことがなかっただけに、来てよかったと話していた。

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来場者プレゼントとして用意されたFD型メモ帳。あえての2DDというところにこだわりが感じられる。限定数だっただけに、もらえた人はラッキーだ。

予約で満席&立ち見も多数のトークステージ

 TAKERU30周年イベントは展示物だけでない。トークステージも注目度が高く、予約がほんの数日ですべて埋まるほどだ。2日間で6つのセッションが用意されていたが、実際どんな話がされていたのか、簡単に紹介していこう。

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1日目の13時開始を最初に、2日目の16時半まで、全部で6つのトークステージが用意されていた。
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事前予約で満席となっていたため、当日のキャンセル待ち列が長蛇に。座れなかった人も、立ち見で参加していく人が多かった。

#1日目セッション1
「奇跡の再集結!? あの編集者たちと語り尽くす「TAKERU時代」

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右から順に、高橋ピョン太氏、忍者増田氏、くしだナム子氏の元ログイン編集部3名が登壇。

 最初のトークステージは元ログイン編集部の3名による、当時のゲーム思い出話がメイン。

 高橋ピョン太氏は元々プログラマーとして参加していたが、その後編集者になり、6代目編集長まで務めた。毎号プログラムを掲載し、入力することで遊べるという史上初の「連載RPG」を手掛けた。なお、TAKERUのソフト販売数ではトップクラスとなる『まみりん』(RPG作成ツール)の作者だが、開発が遅れ、発売が半年も遅れてしまった。ようやく出来上がったソフトの引き渡し時に、担当者が名古屋から新幹線で取りに来たという。

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リストを一括で掲載するのではなく、連載という形式にしているのが新しい。1回目ではメインプログラム、2回目以降はシナリオプログラムを掲載。

 忍者増田氏は、元はログインの常連投稿者。ポイントを集め、『X68000ACE』をもらったそうだ。その後アルバイトとしてログインに参加。人気コーナー「WIZでござるよ」を担当し、ログイン以降の時代も含め、21年間も続く長寿コーナーとなった。『まみりん』は予約するも発売日が伸びたため、返金されたという話を披露。

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基本的にはウィザードリィの話がメインだが、たまに脱線することも。終了や再開を繰り返し、21年もの連載に。

 くしだナム子氏は、PCゲーム誌にいながらファミコンやラジコンを担当することが多かったという。「足軽」(アルバイト)として奉公。先の『まみりん』つながりでは、発売後のユーザーからの電話を取っていたものの、肝心の高橋ピョン太氏がおらず、対応に苦労したとか。

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本人はゲーム以外のページが多いといっていたが、ちゃんとゲーム関係のページも担当。

 ログインといえばゲーム雑誌ではあったのだが、バカ記事の多さも特徴。例えば戦国シミュレーションゲームの特集のはずなのに、“戦国体質”になろうという主旨になっていたりと、切り口がかなり特異だ。『天下統一』も普通にプレーするのではなく、メーカーにお願いして特別に改造してもらい、なんと58人でプレーするというおかしなことになっていた。

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攻略やゲーム紹介ではなく、独自路線をつき走る特集。そもそも改造ゲームだというのもおかしい。

 この後、思い出のゲームということで、『ARCHON』(忍者増田氏)や『ヤンパラアドベンチャー ヒランヤの謎』(くしだナム子氏)、『オリオン/クエスト』(高橋ピョン太氏)をはじめ、10本以上が紹介された。

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国内PCへと移植される前から遊んでいたという『ポピュラス』。編集部の全員が「上げたり下げたり」して遊んでいたそうだ。「親の心ポピュラス」というコーナーも作ったとのこと。

#1日目セッション2
「1986 ゲームミュージックの夕べ」

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右から順に、高橋俊弥氏、池田公平氏(五代響)、三橋正邦氏(大葉浩美)が登壇。
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また、司会補佐の解説役として、上野利幸氏(ゲヱセン上野)も登壇した。

 初日2つ目のステージは、ゲームミュージックにスポットを当てたもの。80年代後半といえばFM音源チップなどの登場でゲームミュージックの重要性が高くなり、サントラCDなども発売されるようになった時代。どうやってゲームミュージックを作るのか、また作る時の苦労話などで盛り上がった。

 高橋俊弥氏は『ザナドゥ』の音楽を担当。当時ログインにいたのだが、ファルコム<3723>の取材から帰ってきたM氏から音楽担当がいないという話を伝えられ、そのまま連れていかれ音楽を担当することに。すでに机が用意してあったという。音楽を作るのに世界観の説明とか、ゲームの画面を見せてもらうとかは一切なかったそうだ。少し作ってみては「いいね」とか「よくない」とかいわれ、直していったとのこと。最も苦労したのは、冒頭にある「シャキン!」という効果音。ある程度できてくるといろんな人が聞きに来て、「これは日本刀の音だから違う」などといわれ、西洋の剣らしい音になるまで何度も作り直したそうだ。

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プログラマーの木屋善夫氏、グラフィックの山根ともお氏と共に3人で作ったという。X1版が一番最初で、会場に流れた音楽もこのX1版だ。

 池田公平氏は『テグザー』の音楽を担当。ゲームと曲は別物と考えて、作りたいように作ったという。新しいサウンドボードを搭載したPC-8801mkIISRが登場し、正月休みだけでいいから貸してくれとNEC<6701>から奪うように借りたのはいいが、肝心のFM音源の使い方がわからなかったという。解析してようやく音の鳴らし方がわかったものの音色の変え方がわからなかったため、パイプオルガンの音だけにしたとのこと。結局テグザーは3か月で開発し、4月に発売。最後の方はFDにひたすらコピーするという手作りでやっていた。

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会場で流れたテグザーの曲は、新しくアレンジしたもの。他の人がアレンジしたもののいい部分を取り入れているという。

 三橋正邦氏は『シルフィード』を担当。シルフィードの曲が多いのは、開発が遅れたからという裏話が……。ゲームの進行と音楽が同期できないため、音楽がものすごく盛り上がっているのに平原を歩いているだけ、みたいなことにならないよう、ゲーム音楽は一本調子で作るのがコツとのこと。シーンに合わせてシームレスに切り替えたくなって作ったのが『ファイアーホーク』。曲もパーツで作り、切り替えポイントをいくつも用意してそこでシームレスに切り替えていたそうだ。

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起動直後からライバルに「かなわない」と思わせたくて、音声合成でしゃべらせたとのこと。シルフィードのオープニングは今見てもカッコイイ。

#1日目セッション3
「ブラザートークセッション TAKERU開発秘話」

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TAKERUの開発者である安友雄一氏。1981年にブラザー工業<6448>へ入社し、1983年にニューメディア事業としてTAKERUの開発を始めた。

 初日最後のステージは、TAKERUの開発者である安友雄一氏による「開発秘話」。

 ブラザー工業<6448>はシンガーミシンの輸入・修理からはじめ、1932年に自社のミシンを発売。1950年代にはバイクも作っていたが、伊勢湾台風で工場が流されてしまい撤退。また、1960年代はタイプライターを始めたほか、1970年からはドットインパクトプリンターなども手掛けるなど、ミシンだけでなく、かなり手広く事業を展開していたそうだ。そして1980年代となり、時代はニューメディア(通信ネットワーク)だとなったときに、白羽の矢が立ったのが安友雄一氏だ。

 当時のPCソフトはパッケージ販売が主流だったが、売れても補充がなかなか来ず、そして売れないものはいつまでも残るといったように、扱いにくいものだった。この商品を店先でオンデマンド製造できれば売り切れも売れ残りもなくなるのではと考え、ニューメディアを使った自動販売機として作られたのが『TAKERU』だ。

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当時は通信速度が遅いうえ、通信網そのものも貧弱だった時代。このときにオンデマンド製造で販売するというのは、実現不可能なアイディアだと考えるのが普通だろう。

 この開発にまつわる詳しい話は別記事にまとまっているので、そちらを参考にしてほしい。

 ステージでは「田町にある会社から75万円のモデムを10万円まで値下げさせた」話や、「撤退費用の改造費への転用」、「ISDN回線での無課金通信」など、詳しく書くと怒られそうな裏話があり、大変盛り上がっていた。また、「月商1億いったら家族もみんなハワイ旅行に連れて行ってやる」と社長が口約束したものの、実際到達したら知らぬ存ぜぬで押し通され、部下との板挟みにあったといった話も飛び出した。

 年商10億を超えても「100億以上ないと認めない」といわれたため、新事業として4500億円市場のカラオケを狙うことにしたそうだ。社内では怪しい商売だのカラオケなんて絶対に許さないだのといわれ、コードネームとして「CK」(コンピューターカラオケ)とつけたらクレームが多数くるなど、かなりの反対があった。しかし、名前を「CMS」(コンピューターミュージックシステム)に変えたとたんピタッとクレームがなくなったという。このことから、「1円でもいいから黒字にすること」と「ネーミングセンス」の2つが重要だと話していた。

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TAKERUがいたソフト販売ビジネスはマーケット規模が200億円。10億円(5%)はとれたものの、会社からは100億以上という指示が……。そこでカラオケに目を付けたそうだ。

#2日目セッション1
「TAKERU時代の愛すべき名作ゲームの宴」

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右から順に、ほえほえ新井氏、忍者増田氏、高橋ピョン太氏の元ログイン編集部3名が登壇。

 2日目最初のステージは、元ログイン編集部者の思い出のゲーム、80年代後半~90年代前半の年間アワード、ゲームメーカー紹介などがメインに語られた。登壇者は初日も登場した高橋ピョン太氏、忍者増田氏に、5代目編集長のほえほえ新井氏を加えた3名だ。

 ログインがどんな雑誌だったかの説明として、当時の記事をいくつか紹介。「バカチン市国 海へ行く」では、トイレのドアをサーフボードに見立てて湘南(実際は九十九里)へ行き、2日間トイレにドアがない状態で怒られたという話や、編集部の慰安旅行となる「いあ~んバカンス」では、宿で体重計をパンチして壊し出禁になったという武勇伝(?)が披露された。

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トイレのドアがサーフボードに見えるからと、外して持って行ってしまう行動力がすごい。しかも1泊したので、2日間トイレにドアがなかったという。
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編集部員がみんな若かったということもあり、だいぶはっちゃけていたようだ。出禁になった場所は、複数あるらしい。

 忍者増田氏が思い出の1本として挙げたのが、『ウィザードリィV』。ここから画面がグラフィカルになり、さらにダンジョンが20×20ではなく不定形、NPC<6255>が登場するなど、物語も複雑になっていった。ちなみに担当していたページが攻略に役立たないと他誌で批判され、凹んだこともあるそうだ。

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システムが大きく変更されたこともそうだが、タイトル末尾の「5」がローマ数字の「V」になったことから、混乱した人もいたのでは。

 高橋ピョン太氏の思い出の1本は、『THE ATLAS』。調査結果を信じるか信じないかで地図が変わっていくという、斬新なアイディアが印象に残っているという。編集部内での会話でも、「信じない」などとよく使っていたそうだ。船長の恰好をして、よく撮影していたという。

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斬新なアイディアに心をつかまれた人も多い。なお、「レジェンドパック」としてWindowsでプレー可能なものが販売中。

 ほえほえ新井氏の思い出の1本は、『ソーサリアン』。製作中からバイクにカメラを載せて立川まで取材にいったり、誌面でパラメーターを掲載したりとかかわりが深かった。ソーサリアンにある60くらいの職業を紹介するのに、イラストレーターへ4日でお願いしたこともあるなど、ゲームそのものもそうだが、雑誌での苦労も含め思い出に残っているようだ。

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シナリオ形式を採用し、同じキャラで複数の物語が楽しめたのが特徴。TAKERUと縁の深い作品でもある。

 各人の思い出の1本の後は、ログインの「ベストヒット・ソフトウエア大賞」(BHS大賞)を振り返り、年ごとの話題となったゲームを紹介。また、BHS大賞では読者投票によるランキングだけでなく、「アドベンチャーゲーム賞」や「ロールプレイングゲーム賞」のようなジャンルごと、さらに「企画賞」や「技術賞」など、ゲームそのものとは関係ない部分にまで賞をあげていた。多くのゲームに賞をあげ、業界が盛り上がればとの思いがあったそうだ。

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多彩な賞を出していたBHS大賞。「画面レイアウト賞」や「ポスター賞」などという、ものすごいものも。

 この後はゲームにまつわる苦労話や、当時の大手ゲームメーカーとなる日本ファルコム<3723>システムソフト<7527>、光栄、リバーヒルソフトとの思い出話などで盛り上がっていた。

#2日目セッション2
「TAKERUとMSXの甘~い関係」

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右から順に、MSXA3号氏、北根紀子氏、MSXA4号氏が登壇。

 2つ目のステージは、TAKERUとMSXとの関係について詳しく語るものとなった。登壇者はMSXアソシエーションの2名と、MSX・FANの元編集長、北根紀子氏。最初にMSXアソシエーションの活動が簡単に紹介されたあと、主にMSXとTAKERUとの関係について語られた。

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MSXの各種版権管理を目的に設立された団体。公式エミュレーターや1チップMSXの開発なども行なったそうだ。

 MSXは1990年に発表された「MSXturboR」の規格が最後。それでも性能的にはPC-98やX68000などのライバルに届かず、新作ソフトはどんどん出てくなっていった。数少ないソフト入手方法として残されていたもののひとつが、TAKERUだという。MSXマガジンやログインが掲載プログラムをTAKERUで販売しているなか、MSX・FANも「ファンダムライブラリー8」を販売。TAKERUの情報ペーパーであるTAKERU PRESSにも掲載された。なお、「バックナンバーも販売予定」とあるものの、結局販売されなかったとのこと。

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投稿プログラムコーナー「ファンダム」をまとめた総集編「ファンダムライブラリー」がTAKERUで販売されていた。

 MSX・FANは1987年創刊のプログラムが半分、ゲーム紹介が半分といった雑誌で、1991年からはFD付属のムックに。会場ではそのFDが実行され、どういったものかが紹介されていた。また、FDに『テグザー』や『ハイドライド』といった昔のゲームが丸ごと収録されていて、新しいソフトが出ないどころか古いゲームの入手性も悪くなっていたユーザーにとってありがたかったそうだ。なお、協力してくれたのは小さなソフトハウスが多く、大手は版権などの関係で収録できなかった。

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付属FDの紹介。ファンダムのコーナーがあるため、ファンダムライブラリーとしてTAKERUで販売する意味が薄かったのかもしれない。

 TAKERUは古いソフトの販売やMSXの同人ソフトなどでも多く使われていたが、『ソーサリアン』や『ブライ下巻完結編』など、メーカーがMSX向けに出してくれなかったタイトルの移植も多い。実はこの移植を要望していたのが、MSX・FANの移植希望コーナーだ。TAKERUには読者の願いを多くかなえてもらったそうだ。

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『ソーサリアン』のMSX版はTAKERUでの販売。移植にかかる費用などもブラザー<6448>が負担した。

#2日目セッション3
「TAKERUが運んだゲーム制作者の夢」

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右から順に、北根紀子氏、広沢一郎氏、ルドン・ジョゼフ氏が登壇。司会補佐として、ゲーム保存協会の日下義政氏も参加。

 最後のステージは、「ゲーム制作者の夢」と題して主に同人ソフト作家とTAKERUとの関係についてがテーマ。

 元TAKERU運営チームで、ソフト集めを主にやっていた広沢一郎氏によると、最初は大手ソフトメーカーに頼んでいたが、自社のパッケージで売れるものをわざわざTAKERUで売る必要はないため、あまり相手にされなかった。かといって、売れないソフトはTAKERUでも売れるはずもなく、そもそもメーカーも売れないと思って作るソフトなどはない。TAKERUを立ち上げ、ソフトを集めようとしたときに、このことに気づいたそうだ。

 ではオリジナルソフトを作ろうとメーカーに制作を依頼しても、有名どころはいいものは自社で売るだけに、なかなか売れるものができない。その後もずっと模索を続け、ようやくTAKERUに合った形として見つけたのが、同人ソフト、名作文庫(旧作品の廉価販売)、ソフトの移植だった。

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MSX・FANの最終号にあるTAKERUのソフトランキング。TAKERUへの同人ソフト応募方法の解説まで載っていた。
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TAKERU PRESS上でも、同人ソフトの割合が高く。同人ソフトだけで特集が組まれることもあった。
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日下義政氏のお気に入りは『無敵戦士ヤジウマン』。ゲームというよりビジュアルノベルのようなもので、ノリが好きだったという。

 欧米の同人ソフト文化について話が移ると、日本とはだいぶ事情が違っていたようだ。ゲーム保存協会のルドン・ジョゼフ氏によると、日本のようにゲームソフトを作って即売会で売ったり交流したりというのは少なく、プロを目指した真面目なビジネス用途のインディーズソフトがメインだったとのこと。同人的なサークルとしての活動となると、短い映像や音楽で構成された「デモ」を作ることが流行っていたそうだ。これも、低いスペックのPCや少ない容量でいかに作るかが競われているもので、技術のアピールがメインだ。

 このサークルつながりで驚いたのが、意外にも海外にMSXのサークルが多いこと。MSX・FANのサークル紹介ページにも「COBRA」というブラジルのサークルが載っていたりと、海外のMSXユーザーにとってもMSX・FANは重要な雑誌だったようだ。実際、定期購読で海外にも読者がいたそうだ。

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日本のサークルに混ざって、ブラジルのサークルも。MSXの賛同メーカーは日本が多いとはいえ、海外でもMSX機は開発、販売されていた。

 TAKERUが稼働中はずっとソフトのマスターが保存されていたものの、それももう廃棄してしまったそうだ。今では手に入らないソフトも多数あるだけに、会場に展示してあった最後の1台に搭載されているHDDをサルベージできれば……という話にまで広がっていった。

 最後は、MSX・FAN元編集長の北根紀子氏から、サプライズで花束が広沢一郎氏に送られ、ステージの幕が閉じられた。

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ステージ終了後に撮影した北根氏と広沢氏のツーショット。花束の内側の黄色は、TAKERUをイメージしてのものだろうか。
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    最終更新: 2016年12月06日(火)18時00分

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