業界に痕跡を残して消えたメーカー DRAMの独自技術を持ちながらも倒産したQimonda  

アスキー 2016年12月26日(月)11時00分配信

 今年最後の業界に痕跡を残して消えたメーカーシリーズはDRAMメーカーだ。国内でもそれなりに出回っていたQimonda(キマンダ)を紹介したい。

業界に痕跡を残して消えたメーカー メモリーQimonda  
QimondaのDDR3メモリーモジュール

DRAM業界に多くの企業が参入

 Qimondaがどんな会社か? という前に、まずはDRAM業界の概観をまとめて説明する。そもそもDRAMというものがどんな仕組みか、という話は連載95回で簡単に紹介している。

 今回はDRAMの作り方に踏み込むつもりはないのだが、このDRAMの原理そのものを発明したのはIBMのRobert H. Dennard博士であり、この功績で京都賞IEEE Medal of Honorを初め、数々の賞を受賞している。

 ただ意外にもIBMはDRAMの製造に参入したのはだいぶ後の話である。もっと言えば、最初のDRAMは現在のDRAMとは異なる1セル=3トランジスタ+キャパシタの構成(現在は1セル=1トランジスタ+キャパシタ)で、当然容量密度的には不利な構成であるが、1970年代初期の製造技術では1トランジスタ+1キャパシタ構成は製造が困難だった。

 この3トランジスタ構成を1969年に考案したのは当時Honeywellに在籍していたBill Regitz氏であるが、これを利用した1102という1KbitのDRAMチップの開発を決断したのはインテルで、Regitz氏もこのあとインテルに移籍する。

 ただ1102はいろいろと問題があったため試作段階で打ち切りになり、問題を修正して1970年に世界最初のDRAMチップとして発売されたのは次の1103である。

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Intel 1103で使われた3トランジスタ+キャパシタの回路構成

画像の出典は、“Wikipedia

 もっともこの1103は、まだアドレスバスの多重化もなされておらず、また利用していたのはPMOSベースのトランジスタだった。ここから、DRAMのマーケットは急速に伸びる。

 まず1971年にトランジスタをNMOSに切り替えて高性能化したのはNEC<6701>、3トランジスタ+キャパシタ構成を1トランジスタ+キャパシタ構成にして高密度化を図り、4Kbitの容量を実現した製品を1973年にリリースしたのはTI、同じく1973年にアドレスバスの多重化を図ることでピン数を減らしたのはMOSTEK、という具合に多くの企業が参入したのがその一因でもある。

 それまで使われてきた磁気メモリーよりずっと容量密度を高くすることが可能で、アクセス速度もそれなりに高速だったため、コンピューターの高性能化にともなって市場が急速に広がったのがその要因でもある。

 この結果として、DRAMだけではないにせよ、半導体の市場規模は90年代から急速に拡大していく。下のグラフを見ると、本格的に大きくなったのは1990年以降という見方もできるが、1975年に24億ドルだった市場規模は1980年に43億ドル、1985年には137億ドルと、比率だけ見ていれば5年で2~3倍の規模になっているわけで、80年代には40社を超えるメーカーがDRAM製造を手がけていた。

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半導体の市場規模。これはデジタル半導体のみならずアナログ半導体も含んだ売上げの模様

画像の出典は、“日本半導体歴史館

DRAM市場のほぼ7割を日本企業が占める
その後競争の激化でメーカーが激減

 1987年におけるDRAMマーケットのシェアは下記のように、市場のほぼ7割を日本企業7社が占めていた頃である。

 1985年には米SIA(Semiconductor Industry Association:半導体工業会)はUSRT(United States Trade Representative:米国通商代表部)に対して日本への提訴を行なっており、さらにいくつかのメーカーが反ダンピング法違反で訴えを起こしたりした結果、1986年9月に第2次日米半導体協定の見直しが行われたが、見直された翌年ですらこれなのだから、いかに日本企業が強かったかわかろうというものだ。ちなみにインテルは1985年にDRAMから撤退を決めている。

 ただ日本の市場独占は長く続かず、この後韓国勢にシェアを奪われていったのはご存知のとおり。前述の表とは異なるが、1975/1990/1992年のマーケットシェアの数字を見ると以下の数字が並んでいる。

 ここから先、急激にDRAMベンダーの数が絞られるようになってゆく。2009年のUBSの資料によれば、1995~2009年末のDRAMベンダーランキングは下の画像のようになっている。

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1995~2009年末のDRAMベンダーランキング。リストを見てると、Nippon Steel(NKK<6943>:旧新日本製鐵)の半導体部門であるNippon Steel Semiconductorなんて懐かしい名前もあるが、ここは1999年に日立<6501>に買収された

画像の出典は、“A Study of the DRAM industry

 1995年にはまだ上位につけていた国内企業はどんどん落ちてきており、1999年ではトップ5にかろうじてNEC<6701>が残っているだけ。上位4社はMicron、Hyundai、Samsung、Infineonとなっている。

 翌2001年になると、富士通<6702>/沖/サンヨーはランキングから落ちており、このあたりでDRAMベンダーの猛烈な淘汰が起きた形だ。

 ちなみにEtronTechやAlliance Semiconductor、IBMなどの名前も消えているが、EtronTechとは現在も産業機器向けDRAMを引き続き生産している。リストから落ちたのは、一般市場向けの製品投入を絞ったのが理由であろう。

 Alliance Semiconductorは破綻しており、名前その他の権利を買収した形で現在存続するAlliance Memoryはファブレスとなっており、Micronその他のDRAMベンダーに生産を委託する形で、やはり産業向けの古い規格のDRAMの供給を行なっている。

 IBMは1996年に東芝<6502>との合弁でDSC(Dominion Semiconductor LLC)という会社を設立し、DRAMとフラッシュメモリーの生産をしていたが、2000年に合弁を解消しており、DSCそのものは東芝<6502>が買収、DRAMの生産ラインをNANDフラッシュ向けに転用することでNANDフラッシュの生産拠点になってしまった。

 なぜこのようなことが起きたかというと、急速な微細化による容量拡大と、平均小売価格の猛烈な下落である。1992年といえばもう16Mbit DRAMが流通していた時期であるが、1991年に発売開始された当初はチップ単価が43.25ドルだったのが1992年には30ドルあたりまで落ち、1997年には7ドルあたりまで下落し、そこからは緩やかに下がっていく。

 より大容量の64Mbitや128Mbit/256MBitも同じであり、1Gbit以降も同じ運命を辿っている。大容量化にはプロセスの微細化や一部新しい構造などの導入が必要で、このためにはより微細化が可能な工場の建設や設備導入、及び新構造を実現するための研究開発が欠かせない。要するに金が掛かるわけだ。

業界に痕跡を残して消えたメーカー メモリーQimonda  
縦軸がbit単価、横軸が時期である

画像の出典は、National Museum of American Historyに収録されている、ICE(Integrated Circuit Engineering)による“Memory 1997"のChapter 2

 その一方で平均小売価格はがんがん落ちていくため、その設備投資や研究開発費を回収するのがさらに難しくなる。回収にはとにかく数を作って売るしかないが、数が多いと供給過剰になりがちで平均小売価格がより落ちる。

 では平均小売価格を高く設定するとどうかというと、より安い平均小売価格をつけた競合メーカーに売上が移動するだけである。

 このあたりが汎用品、つまりどこのメーカーの製品を買っても同じ規格なので代替が利く製品の辛いところであるが、逆に言えば汎用品にしたからこそ市場が広がったとも言えるわけで、一概に汎用品なのが悪いとも言いがたい。

 こうなってくると残存者利益を狙って他社を蹴落とすしか手がないことになる。実際にそうした形でDRAMマーケットは推移してきた結果として、現在メジャーな企業は3社(Samsung、Hynix、Micron)しか残っていないわけだ。

ドイツの半導体メーカーInfineonから独立した
DRAM専門会社Qimonda

 ということで、やっと今回の本題のQimondaに入ろう。前述のDRAMベンダーランキングで1995年に12位でランクイン、以後だんだん順位を上げて2001年には4位まで達していたInfineonがQimondaの前身である。

 実を言えば、Infineonという会社そのものが設立されたのが1999年である。もともとはドイツのSiemens AGの半導体部門で、これがInfineonとして独立した。したがって先のランキングで1995~1998年におけるInfineonという表記は、本来はSiemensなのが正しい。

 さてこのInfineonは設立直後に11億ユーロを投資して、ドイツのザクソン州ドレスデンあるにDRAM専用の300mmウェハーを使う工場を建設することを発表した。もともとここには200mmウェハーの工場が存在しており、1999年には世界最初の256Mbit SDRAMを出荷している。

 これに併設される形で建設された300mmウェハーの工場は、0.14μm以下のプロセスを利用し、2001年以降には1Gbit以上の容量のDRAMを量産する予定であった。

 ただ本来のInfineonは、産業機器や自動車などの、比較的需要が安定した、しかも長期間に渡る半導体ビジネスが主であり、景気の動向に応じて需要が増減し、しかも短期間で製品寿命が切れるDRAMビジネスはあまりそぐわないものであった。

 それもあって、DRAM部門を切り離して別会社化するというプランはInfineonの独立直後からあったらしい。とはいえ当初はDRAMそのものが稼ぎ頭だったこともあり、「いずれ時期を見て」という考えだったようだ。

 最終的には2006年5月にDRAM部門がQimondaとして切り離された。当時の報道を見ると、若干予定を早めたとしており、最初は2007年頃の新規株式公開を考えていたらしい。

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Qimonda独立時の写真。左はInfineonの最高経営責任者であるWolfgang Ziebart氏、右がInfineonの取締役でメモリー製品事業グループの最高責任者のKin Wah Loh氏

トレンチ技術の微細化が難航
他社に置いていかれる

 2006年前後というのは、同社にとっては辛い時期であった。Infineonは長年ファウンダリービジネスも行っており、特にトレンチ(溝)技術にはいろいろ定評があった。古い話だが、BitBoysのGlaze3DにはInfineonの0.22μmプロセスが利用されていた。

 これが選ばれた理由は同社の組み込み向けDRAM技術であるが、要するにシリコンウェハーに細長い「溝(トレンチ)」を構成し、この溝を使ってキャパシタ(コンデンサ)を構成することでDRAMを形成するというものである。

 このトレンチ技術は当然Qimondaにも引き継がれたのだが、容量を引き上げるためにプロセスを微細化しようとすると、どんどん溝を構築するのが難しくなってきた。構造的には溝というよりは竪穴という感じだが、なにしろ直径の数倍~数十倍の深さの穴を構成しないといけないため、この製造技術を確立するのに時間を要してしまった。

 結果、他の競合ベンダーが60~70nm世代での量産製造技術を確立し、50nm台の製造技術を開発していた2007年の時点で、Qimondaはやっと75nmのトレンチタイプの出荷を開始している状況だった。

 下の画像は2008年にQimondaが公開していたロードマップであるが、他社が40nm台の開発を始めていた2008年前半に、やっと58nmのトレンチタイプを出荷し始めるという具合に、1世代分の遅れを負っている状況だった。

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2008年にQimondaが公開したロードマップ。ちなみに4F^2は未だに実現しておらず、その意味でも願望ロードマップという気がする

画像の出典は、2008年7月にDenali Software(2010年にCadenceが買収)が主催したDenali Memcon 07におけるTom Trill氏(Qimonda North AmericaのVP Marketing)のスライド

 そこから急速に追い上げたいというのが同社のロードマップ、というより半ば願望である。58nmのトレンチタイプに加え、65nmの埋め込みワード線(Buried Wordline)タイプを2008年中に出荷し、2009年後半には46nmを出荷。これが実現できると競合メーカーとの遅れは半世代ほどになる。

新技術で競合に追いつく

 さらに2011年からは4F^2タイプという、従来にない構造をとることで完全に競合メーカーに追いつき、考え方によっては追い抜くことになった。

 このFというのは最小寸法加工で、一般的なDRAMセルを4F^2にすることで、DRAMセルの面積を3分の2に減らせるという優れものである。つまりダイサイズが同じなら容量を1.5倍に増やせるわけで、プロセス微細化だけで実現しようとすれば36nmあたりに相当する製品になるからだ。

 もっともこれ、試作に関してはその後エルピーダメモリーなどが発表しているが、最終的に量産にこぎつけたメーカーは1社もないあたりが、加工の難しさを物語っている。ただこの時点ではまだ4F^2には楽観的であった。

 ちなみに埋め込みワード線の模式図が下の画像である。横に長く広がっている赤い部分がワード線(ワード方向の配線)であるが、これを絶縁膜の中に埋め込むことで消費電力を抑えることが可能になる。

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埋め込みワード線の模式図。従来型(右側)は、DRAMセルの上にワード線を構築する関係で、寄生容量が増える欠点があった。埋め込みワード線では、これを抑えることが可能になる
業界に痕跡を残して消えたメーカー メモリーQimonda  
DRAMの温度。明るいほど高温。埋め込みワード線を使用すると発熱を抑えられることを示している

 実際同社の75nm世代はもとより、58nm世代のチップと比較しても埋め込みワード線タイプの65nm品の方が低消費電力になる、という見通しであった。

新技術での生産の前に倒産

 残念ながら、そこまで同社は持ちこたえなかった。不況の影響を受け、同社の2008年第3四半期の決算は売上が前四半期比で7%減、前年比で48%減の3億8400万ユーロ、営業損失は3億8600万ユーロであった。

 そもそもこの3四半期での合計の損失は14億4400万ユーロに達しており、前年の3四半期合計利益の1200万ユーロから一転しての大赤字になった。

 最終的に自力更生は不可能と判断した経営陣は2009年1月にドレスデン地方裁判所にinsolvency protection(日本で言う会社更生法)の申請を出す。これに続き、同社の世界中の子会社も相次いで破産申告をすることになった。

 同社の75nmのトレンチタイプの技術はNanya Technologyに、GDDR3/GDDR5の技術はエルピーダメモリーにそれぞれ技術移管されたが、同社を救うはずであった埋め込みワード線の技術はライセンスされなかったようだ。

 その後競合メーカーも埋め込みワード線技術は採用しているが、これはQimondaの開発したものとは異なる方法で実装されている。新規株式公開から3年たたずに破綻、というあたりがDRAMビジネスの難しさを物語っていると言えよう。

アスキー
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    最終更新: 2016年12月26日(月)11時00分

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