40年前にTwitterを実現していた雑誌「ポンプ」が見た限界

アスキー 01月07日(土)12時00分配信

 インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。

 大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。

「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る
「おしゃべりマガジン ポンプ!」。発行社は、現代新社。JICC出版局(現在の宝島社)の子会社だった。現代新社は現在は洋泉社になっている。刊行期間は1978年12月から1985年7月まで

 しかし、現在のインターネットはポンプの刊行時に思い描いていたようなバラ色の世界をもたらさなかったし、良くも悪くもソーシャルメディアの雰囲気が世界の行方を左右するような兆候すら見られる。この先、インターネットやメディアはどうなればいいのか。

 よし、早過ぎたインターネットを作った人に聞いてみよう!

 ということで連載第8回は、ポンプを創刊して実現した紙メディアの可能性、そして限界について。いつものように、聞き手は若者代表20代の編集部西牧くん、そして適当にチャチャを入れる四本という態勢です。

過去の記事はこちら。
1回目 「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る
2回目 深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ
3回目 「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話
4回目 新しい技術を使って儲けるために知っておくべきコツ
5回目 デヴィッド・ボウイからパンクの移行は商業ロックへの反動だった
6回目 まるで2ちゃんねる、すべて投稿で成り立たせた雑誌「ポンプ」
7回目 ネットメディアは良質な投稿とレスポンスじゃないといけない

デヴィッド・ボウイからパンクの移行は商業ロックへの反動だった
ポンプから生まれた有名人の代表が漫画家の岡崎京子。プロの漫画家としてデビューする以前から常連投稿者として人気が高かった。2015年に世田谷文学館から始まった巡回展示「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」が福岡天神の三菱地所<8802>アルティアムで開催中。会期は2017年1月22日(日)まで。彼女のエピソードは橘川幸夫近著「ロッキング・オンの時代」でも読める(画像は公式サイトより)

読者投稿による森永製菓<2201>の広告

橘川 参加型というのは、メディアだけじゃないんだ。明治以来の近代というのは、ピラミッド型の上意下達の組織が中心で、国家も社会も動いていた。その先に、上からではなく下からの、一人ひとりの声で国家や社会を動かしていこうという意識が生まれてきた。その最初がロックであり、投稿メディアだったのだ。これからますます社会装置は参加型になっていくだろうと思ったんだ。だから将来的に政治も経済も参加型になってゆく社会を想定して、私はいまも戦い続けているわけです。

四本 また大きく出ましたな。

40年前のTwitter、投稿雑誌「ポンプ」に見る可能性と限界
戦う男、橘川幸夫

西牧 ……四本さん、そこはあんまり茶化さないほうが。

橘川 私のモットーというのがありまして、それは時代のホットポイントにいることなんだ。1960年代だと学生運動で、キャンバスでは毎日が事件だからおもしろいわけだよ、これが。1970年代はロックとマンガ。1980年代になるとマーケティングに関わるようになるんだけど。

西牧 それ参加型メディアと、どう関係するんですか?

四本 マーケティングというと、広告代理店の仕事っぽくて、世間ではイメージ良くないよね。

橘川 俺がやっていたのは、読者にアイデアをもらって、それを企業に提案して商品化するというようなこと。マーケティングでも参加型の可能性を追求していたわけだ。あるおもちゃメーカーでは、子どもたちにゲームのアイデアを送ってもらって、メディア作ったり商品企画会議に提案したりしていた。自動車メーカーが若い女性向けの新車を開発するので、若い子の気分を集めてくれと頼まれたりした。ポンプの時代でもそのアプローチで、いろんな実験をやってきたんですよ。たとえばこのページ、森永製菓<2201>の広告なんだけど、読者の投稿でできているんだ。

40年前のTwitter、投稿雑誌「ポンプ」に見る可能性と限界
1980年8月号の表2(表紙の裏・右ページ)広告。この号から1983年1月号まで30回に渡り、テレビコマーシャルの絵コンテ、プロット、製品に対する提案などの読者投稿が、森永製菓<2201>の広告という形で掲載された

西牧 広告ということは、広告費も出ているわけですよね。

橘川 もちろん。当時の森永の担当に小宮さんというポンプに理解のある人がいてできたんだけど。応募して掲載された人にはお菓子が届くんだ。これで森永のテレビコマーシャルのコピー案を募集したりね。

西牧 へえー。

怪人サカモトと三誌共同ネコ企画

橘川 それから「カポネトライアングル」というのもやった。

西牧 カポネ? トライアングル?

橘川 これはね、坂本正治という怪人がいたわけですよ。もう亡くなっちゃったけど。

西牧 それって誰ですか?

四本 サカモトさんは説明が難しいな。実家が銀座の薬局のボンボンで、まず麻布を出て宇宙獣医を志して東京農工大学へ進むんだけど。

橘川 ソ連がスプートニクにライカ犬を乗せて飛ばしたでしょ、1950年代の終りに。それで「これからは宇宙獣医の時代だ!」と言って、獣医を目指したんだけど、すぐにガガーリンが飛んじゃった。おかげで宇宙獣医が必要なくなって挫折しちゃったんだ。

西牧 頭がいいんだかなんだかわからない人ですね。

四本 破滅型の天才です。その後はアーティストになって、銀座のソニービルや大阪万博の三井館で「時間分割テレビ」を展示したんですよ。3秒ずつタイムラグのある映像を10台のモニターで再生するっていう、当時の現代美術としては最先端の作品だった。なんであのままパイクにならなかったのかね。

西牧 相当変わった人っぽいのはわかりました。

四本 その後、コンピューターでプロジェクターを制御するイメージシンセサイザーっていうものを作ったりして。ライターとしてはブルータスの連載はファンも多かったし、二玄社のクルマ雑誌でもメチャクチャな連載をやってたよね。

橘川 イメージシンセサイザーは最初「映像を演奏するマシーン」としてニューヨークのソーホーに住みながら開発してたんだな。マガジンハウス(当時は平凡出版社)の忘年会で、取材で撮影したネガとその時代に流行った曲で、演奏していた。時代そのものが走馬灯のようなイメージで伝わってくるんだ。高校生だった四本にテレビの画面を撮影させて、四本の作った環境音楽に合わせて作品作ったこともあったな。

四本 昔の個人的なことは触れないよーに。

橘川 坂本さんがプロデューサーになって、横浜の洋光台に「こども科学館」を作ったときにも、オムニマックスシアターで四本の音楽が使われていたな。そういえば、1990年代の前半って、四本も現代アートやってたな。

四本 もうポンプの話に戻るよーーーに!

橘川 まあ、その彼がさ、突然ポンプの編集部に現れたわけだよ。「この雑誌を作ったのは誰だ!」って怖い顔でさ。仕方なく俺でーすと言ったら「君か、君はオレと同じ考えだ、一緒にやろう!」って。それでできた企画が、カポネトライアングルなんだけど、これはカメラ毎日の「カ」、ポンプの「ポ」、猫の手帖の「ネ」、三誌の共同ページで「カポネ」なんだ。ネーミングは俺ね。

40年前のTwitter、投稿雑誌「ポンプ」に見る可能性と限界
1979年9月号のカポネトライアングルのページ。最初のタモリのような人物は佐伯さんと言って、カポネに扮した当時のカメラ毎日編集長で、撮影はなんと秋山庄太郎。この企画は1980年1月号まで続いた

西牧 それって画期的なことなんですか?

橘川 この三誌が共同して同じ誌面を作ったんだよ。当時としては画期的だね。カメラ毎日は読者が猫の写真を撮ってくるだろ。猫の手帖は猫のマニアが猫の話を持ってくる。で、ポンプにはわけのわからない投稿が来るわけだ。それぞれ集まった原稿をそれぞれのメディアで共同編集して載せていこうと。

四本 いまで言う投稿ネタのシェアみたいなものだね。

西牧 それは坂本さんだからできたんですか。

橘川 坂本さんはどの媒体でも仕事をしていたし、まあ人の意志は無視して強引にやる人だから、なんでもできちゃうんだ。この企画で重要なことは、雑誌が自分の雑誌だけで完結するのではなく、ほかの雑誌との連携を探ったことだ。俺は、自分の雑誌だけがおもしろければよいというのではなく、書店全体が活性化しなければ意味ないと思っていたからね。

深刻なメディアの面積不足

橘川 でもそうやって、投稿雑誌を作っているうちに、根本的な矛盾が出てきたんだ。ポンプには毎日何百通と投稿が来るわけだよ。俺は朝から晩までそれを読んで区分していたわけだけど、全部は載らないわけだ。だって紙には限界があるからね。

西牧 文字数とか写真の数とか。

橘川 うん。すると選ばなきゃならない。そのときに気を付けたのは、俺には編集者として好き嫌いがあることだよ。だけど、つまらないおもしろいで選ぶのではなく、ある意見の代表を載せていこうと決めた。

西牧 意見の代表?

橘川 右翼でも左翼でも、シンボリックなものを載せていこうと。右でも左でも関係ない。旧来の編集者なら、自分の嗜好に沿ったものを整理して見せるのが仕事だったわけだけど、それを止めたわけだ。むしろぴあ的に、情報誌的に考えた。でも、そうすると読者から「橘川さんはどういう基準で選んでいるんですか」って来るわけだ。うるせえと思うだろ? でも、ごもっともなんだよ。俺が読者でも同じ質問をするね。だからボツをなくす方法を考えなきゃならなかった。当時、俺は「メディアの面積」って言っていたんだけど、ひとつは、まずそれを広げていくしかない。

西牧 ページを増やすということですね。

橘川 そう。でも売れば売るほど投稿が来るわけだから、いくら増やしても限界がある。だから同じ面積にやれるところまで詰め込んでみようというので、本気出したのがこれだ。「ピュアポンプ」といって、100文字投稿なんだよ。ポンプは最終的にはこれになるということなんだけど、これTwitterだろ?

40年前のTwitter、投稿雑誌「ポンプ」に見る可能性と限界
ひたすら縦に文字が打ってあるだけの「ピュアポンプ」。当たり前の人の視力と気力では読めません
40年前のTwitter、投稿雑誌「ポンプ」に見る可能性と限界
誌面の上には読むために必要なツールの形状を示したマニュアルも。ネットメディア的雑誌にふさわしく、このような誌面の使いこなしやコンセプトを説明するマニュアルが都度掲載された

西牧 ああ、確かに!

四本 でもダンプリストみたいで読めないじゃん。

橘川 切り込みを入れた紙を当てれば読めるんだよ。俺は写植をやってたから、できるだろうと写植屋にやらせたわけだけど、ずっと嫌がられてた。

西牧 紙の限界に挑む一つの方法ではありますね。

橘川 そんで、これは「嘘八百」と言って、嘘が二百並んでるんだよ。だから嘘八百というのも嘘なんだ。つまり、みんな嘘なんだよ。

40年前のTwitter、投稿雑誌「ポンプ」に見る可能性と限界
本当のことなどなにもない嘘八百コーナー

四本 おもしろいなあ、ポンプ。

橘川 お前、今頃なに言ってるんだよ!

(そしてついにポンプは転換点を迎えます。続きは次回!)



アスキー
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    最終更新: 01月07日(土)12時00分

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